Jul
6
『異邦人』の主人公ムルソーは、「それは私にとってどうでもいいことだ」(Cela m’est égal)というフレーズを強迫的に反復する。
「それはどうでもいいことだ」というのは、個々の事象について、そのつど価値付けを可能にしてくれるような汎通的な準拠枠組み、「大きな物語」が失われたという事態を、主体の側から表明した言葉である。大戦期間、カミュのみならず多くの同時代の思想家たちが、それぞれ固有の仕方で類似した経験を語ろうとした。ハイデガーの「世界の適所全体性の崩壊」も、ヤスパースの「限界体験」も、サルトルの「嘔吐」も、バタイユの「内的体験」も、レヴィナスの「ある」(il y a)も、言葉は違っても、いずれも世界の秩序を支える「聖なる天蓋」が崩落し、正邪理非の判断を託すべきものを見失った大戦期間の知識人の不安を写し取っている。
カミュはこの世界の「無ー底」(an-archie)の経験を「等格」(égal)という言葉で言い表した。この言葉は、単に準拠枠組みとしての上位進級(神、絶対精神、あるいは「歴史を貫く鉄の法則性」)が失われたために、善悪正邪理非の判定が不可能になったという事態を指しているだけではない。「等格」は「ふたつのものが間に差異がなく、等価的である」という語義どおりの状態をも意味している。
(中略)
差異づけを拒み、価値を平準化し、等格者たちから構成される非ー位階的な共同体を地上に顕現させようとする欲望。それは『異邦人』のみならず『裏と表』や『結婚』など、カミュの初期テクストに伏流している。 (内田樹『ためらいの倫理学』)
「それはどうでもいいことだ」というのは、個々の事象について、そのつど価値付けを可能にしてくれるような汎通的な準拠枠組み、「大きな物語」が失われたという事態を、主体の側から表明した言葉である。大戦期間、カミュのみならず多くの同時代の思想家たちが、それぞれ固有の仕方で類似した経験を語ろうとした。ハイデガーの「世界の適所全体性の崩壊」も、ヤスパースの「限界体験」も、サルトルの「嘔吐」も、バタイユの「内的体験」も、レヴィナスの「ある」(il y a)も、言葉は違っても、いずれも世界の秩序を支える「聖なる天蓋」が崩落し、正邪理非の判断を託すべきものを見失った大戦期間の知識人の不安を写し取っている。
カミュはこの世界の「無ー底」(an-archie)の経験を「等格」(égal)という言葉で言い表した。この言葉は、単に準拠枠組みとしての上位進級(神、絶対精神、あるいは「歴史を貫く鉄の法則性」)が失われたために、善悪正邪理非の判定が不可能になったという事態を指しているだけではない。「等格」は「ふたつのものが間に差異がなく、等価的である」という語義どおりの状態をも意味している。
(中略)
差異づけを拒み、価値を平準化し、等格者たちから構成される非ー位階的な共同体を地上に顕現させようとする欲望。それは『異邦人』のみならず『裏と表』や『結婚』など、カミュの初期テクストに伏流している。 (内田樹『ためらいの倫理学』)